コース名
ドリームコース
セラピストコース
大事なエピソード ~祖母へのマッサージ~
コース申込み後の最初の夢で、自分の神聖に関わる夢を見た。その数日後、大好きな祖母が夢に出てきて、祖母にマッサージをしてあげたいと思っていた事を思い出した。そこからセラピストコースを受けることを決めて、夢とセラピストのコースを同時進行で進むことになった。
高齢の祖母がうつ伏せになれるか分からなかったので、座った状態でできる手技を習った。祖母を訪ね、ばぁちゃんにマッサージをしたくて習ったからやらせてもらっていい?と聞くと二つ返事でOKと答えてくれた。
久しぶりに触る祖母の身体は骨ばかりだし、姿勢が崩れていて片側が丸く湾曲していた。骨も脆くなっているだろうし折れたらどうしょうと心配しながらも(笑)、心の中でばぁちゃんありがとう、ありがとうと言いながら祖母の身体に触れさせて頂いた。
やり終えて祖母に感想を聞くと感覚が弱くなっているのか「よく分からなかった」と答えていた。(頭にたんこぶ作っても痛くないと言ってるくらいだったので笑)
身体的にはそうかもしれないけど、自分は必ず想いは届くと思っているので、自分からの「言葉にならない何か」が伝わっていたらいいなと思うし多分そうなのだろうと思う。
伝わっていたら良いなとは思うけど、今振り返って思うのは、もはや伝わったかどうかはそんなに大事ではなくて、
自分の夢からのメッセージを受け取ってセラピストコースを受け、
ワークをし、
手技を学び、
祖母を訪ね、
実際に祖母にマッサージをした
この事実がこの人生にあった、ということそのものがとても大切なことだったと思っている。
マッサージをした数ヶ月後に祖母が天に召されたと連絡が入った。
超絶悲しかった。バリ泣いた。
バリ泣きつつマッサージをしたことを思い出し、更に泣いた。
そしてあの時にマッサージをして本当に、本当に良かったと心の底から感じた。
ちゃんと実行に移した自分自身にめっちゃくちゃ感謝した。
そしてナビゲートしてくれたKEIちゃんにも本当にありがとうと感じた。
最近「奇跡とは空を飛ぶことでもなく水の上を歩くことでもない。この地球に立っていることこそが奇跡である」という一文と出会った。
何か特別なものを求めがちだけど今あること、目の前の人とただ話をすること、お相手に触れることが、決して当たり前ではなく、実はものすごい事だとの理解が深まった。
コース中に感じた変化
まずはじめに人生をより良くしたいと感じている人には、セラピストに成る成らないに関わらず、学ばれる事を強くお勧めしたい。それは、セラピストコースでの学びには人生を歩む上でのとても大切なエッセンスが詰まっていると感じるから。
人生の基礎教科のように感じている。4年間大学に行くよりも、集中して半年セラピストコースで学ぶ方がよほど人生に活きると感じる。
コースで学んだことは自分自身でどこまでも深めていくことができるし、人生のどの場面においても活きてくる。人生の礎を築くようなコースだと認識している。
・セラピストコースを受ける前後では人生の捉え方が変わった。
それまで気にもとめなかった日常の些細な物事も自らの人生に大きく関わっていることを知った。日々の物事を大切にすると自分の内側が大きく変わることを実感した。
見聞きする物事に、何故自分が反応するのか、その因子は自分にあって同じ事象に対して皆が同じように反応するわけではない事にも気付かされた。
日々の様々な事象に人は色々なリアクションをするけど、物事は「ただ起こっていて」それに「 意味を与えているのは自分だ」ということが意識できるようになった。つまりはそれぞれが世界を創造しているということと思う。
・親のせい、人のせい、環境のせい、外に向けていた意識が自分自身に向くようになった。
このことは本当の幸せや、自分自身の生命を生きる大前提としてとても大切だと今は思う。
他のせいにしていると堂々巡りでしかないと思う。このことは一番大切なことではないかと思う。
・施術を通して、人に触れる事がどれだけ尊いことか。人の身体の精妙さや目には見えないエネルギーや力が働いていることも改めて実感した。心身霊、ご本人だけでなくご先祖様や守護霊、そして未来世過去世のご自身など、どの瞬間も何かに護られていて、人は決して一人では生きていない事も理解することができた。
ある時、施術を受けた際に今まで感じたこともないとても暖かなエネルギーを感じたことをそのセラピストを話すと、ご本人はそこには触れていなかったと聞いた。大げさではなく、神の手に触れられているようなとても心地の良い暖かさだったことを今でもはっきりと思い出す。きっといつも見えない存在からのサポートを受けているんだと思う。
以前はこういった物事を特別なことで、スピリチュアルだ、とか認識していたが、今ではそもそも目に見えない様々なエネルギーの中で人は生きていることを理解している。
・セラピストコースを通して、今まで見ないようにしてきた「自分の見たくないもの」「触れたくないもの」も格段に受け入れることが出来るようになった。自分自身への受容度が深まったと感じる。以前の自分は、自分の内側と外側で世界を分けて捉えていた。
ある日、それまであまりに汚くて触れないようにしていた場所を掃除をするワークをした。
すると、それまで自分の内側の触れないようにしていた部分にアクセスできるようになったのにはとても驚いた。内と外、別れていると思っていたものがリンクしていることへの理解が体感をもって深まったのは大きな変化だと感じる。
特に印象に残った学び
「木の声を聞く」
自分の場合はセラピーを仕事としてやるというよりも、セラピストコースで学び、感度をあげて仕事(ものづくり)に生かすという話が初めにあった。
そこで、木に触れて木の声を聴くということにフォーカスするワークがあった。
木の声なのか自分の妄想なのか、、ハッキリわかる訳ではないけど、何か声がある時と何もない時もあった。
ある日、作品を作っているとき、どうなりたいか木に聞いてみた。すると木は、「あなたの好きに削ったらいい」と言ってくれた。あなたを信頼しているからあなたの好きに、というニュアンスに感じた。嬉しくてちょっと泣いた。意識を向けるか否かでまったく違う世界を生きるのだと思う。
「怒りの夢」
バチバチに怒る夢を毎日のように見ている時期があった。
けいちゃんに聞くと自分を大切にしていない自身の怒りを夢時間に感情解放している、というような話だった。
自分は人のこと、人のものは丁寧に扱うのに、自分のこと、自分のものとなるとぞんざいに扱う癖があった。「自」「他」と世界をいつも分けていた。
そこで自分のことを丁寧にやること、具体的には洗濯物を綺麗にたたむワークをする日々が始まった。
そして手を付けなかった、手を付けたくなかった家中の掃除をするようになった。やりたくないところほど、面倒と思うところも掃除した。
自分が自分を大切にすることで、激怒する夢を見る頻度は格段に減った。そして本来、自・他と分けられるものでもないのだとワークを通して頭よりも体感を伴い理解が深まった。腑に落ちた、というのが正しいと思う。
腑に落ちるまでは頭での知識として保持していても良いと思う。それも持っていると、何かの拍子に あ、あの言葉はそういう意味だったのか!! と腑に落ちることがある。腑に落ちた、経験からの言葉には何か力があると思う。そして、それを共有しあうことは人が生きる上で大切な栄養のように感じる。
「夢のストーリーの途切れ」
夢のコース中、連日みる夢のストーリーが続いていくことがあった。
ただ、今日はまたあの続き見れるかなとエゴが入るとピタリとストーリー途切れることがあった。
リーディングをしたり、木や石、そして自分の身体の声を聞くときなど、エゴが入ると聞こえなくなるか、リアルではない自分で作り上げたものを見ることがある。
セラピストノートには
ただ聞く
ただ見る
と書いてあるが、人間にはそれが難しい!!
悟りの境地かっ!といつもツッコミを入れたくなる(笑)
まんまを見るには リラックスしていることが大切なのだと思う。
何をするにも力んでいると本当の力はでないんじゃないかとも思う。
聞えるであろう、聞こえてほしい、とか謎の前提を持っていることも言われるまで本人は中々気付きずらい。。
でもそういうことの一つ一つが、そもそも人間の性質の一つなので、それもそのまま受け入れて、、、、禅問答か!!(笑)
学びに終わりはありませんね。
最後に。ここにコースの体験や感想を皆さんにシェアする機会を頂きました。
アウトプットしていく内に忘れていた事や、どこまで自分が理解しているか、腑に落ちているのか頭の知識止まりなのか、気付かせて頂きました。
ここに記した事がどなたかの参考になりましたら幸いです。
皆さんも良き学びを、良き日々を。